「南三陸は魚竜化石の宝庫」 平成24 年度子どもゆめ基金助成活動として、8 月9 、10 日の2 日間にわたり、「南三陸は魚竜化石の宝庫!」を開催しました。この活動は、小学校高学年~高校生を対象として、郷土の大地の生い立ちや自然のふしぎを学ぶことをめざして開催されたものです。東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町歌津管の浜の魚竜館の標本レスキューを東北大学総合学術博物館が主導して行っていたこともあり、今年の体験活動は魚竜化石の宝庫としての南三陸町の価値を再発見してもらい、地域復興の動きにつなげるために南三陸町とその周辺で行うことになりました。 1 日目は朝10 時30分に南三陸町歌津にある平成の森に併設された「歌津コミュニティ図書館 魚竜」に集合して、貸し切りバスで南三陸地域にある魚竜化石産地にむけて出発です。参加者は、6 人ずつ5 つの班にわかれて、それぞれに大学院生の班長がつきました。移動するバスの中では隊長を務める永広昌之先生から南三陸地域の地質についての説明がありました。 はじめに、南三陸町細浦の露頭でジュラ紀に浅い海でできたとされる細浦層の地層を観察しました。ここでは、砂岩や泥岩からアンモナイトや二枚貝などの化石がみつかります。そして、運がよければ、魚竜の化石がみつかるかも。さっそく化石さがしのはじまりです。露頭を叩く人や転石を叩く人。石が硬く、なかなか化石を見つける事はできません。最初はどれが化石かわからなかった子どもたちも、化石の探しかたがわかるにつれて熱中して掘り進めていました。仲間が化石をみつけると、ますますはりきってハンマーをふるいます。 つぎに南三陸町歌津管の浜にある魚竜館に残されている露頭保存された魚竜化石を見学です。建物は東日本大震災の津波で被災して、建物内で露頭とともに保存されていた魚竜化石の一部がはがれてしまいました(はがれた部分は東北大学総合学術博物館で一時保管しています)。 天然記念物に指定されている館崎の魚竜産地の露頭へ移動です。残念ながら、潮が高く、魚竜化石が保存されている露頭に行くことはできませんでしたが、そばの露頭を観察して回りました。ここでお昼ご飯を食べました。 20分ほどバスに乗って気仙沼市本吉町大沢に到着。この地域からも魚竜化石の一部が見つかっています。海岸にそそり立つ崖や転石がいっぱいある海岸で化石採集の再開です。ここの地層も石が硬く、なかなか割れませんが、一生懸命石を割って行くと、アンモナイトや植物、二枚貝といった化石がいっぱい見つかりました。残念ながらこれぞ魚竜という化石は見つかりませんでした。けれども自分の手で化石をみつけることができて、みんな笑顔で帰りのバスに乗り込みました。 2日目は、平成の森のキャンプスペースにボランティアと地元の方が協力して作られた「歌津迎賓館 鍵」とその周辺で活動です。きのう採集してきた化石のクリーニングから始めました。小さなハンマーと千枚通し、スレート用のこぎりを使って、化石のまわりについている余分な石を落とし、石にかくれている部分を削りだします。石をはがすと、化石の全体像がわかったり、下から新たな化石が現れたりという発見があります。今回採ってきた化石を含む石は とても硬く、化石を壊さないようにとりだすのがむずかしかったようです。それでもなんとか化石をきれいにすることができ、自分で採った化石の名前を永広先生やほかの講師に教えてもらって、標本ラベルをつくりました。 お昼ご飯のあとはアンモナイトのレプリカづくりに挑戦です。シリコンでできた化石の型に石膏を流し込んでレプリカができるまで待ちます。石膏が固まるまで、越前谷先生による魚竜のお話です。生命の誕生から魚竜の出現、進化、魚竜の泳ぎ方、中生代の海に生息していたいろいろな生物の特徴や魚竜化石がどのように復元されたのかなど話の内容は多岐にわたりました。 先生のお話がおわったころには、石膏がすっかり固まって、今度は水彩絵の具を使ってアンモナイト化石のレプリカに色をつける作業をしました。実際の石の色に塗った子や、アンモナイトの部分を好きな色にぬった子がいました。まとめの時間では、班ごとに今回採集した化石の種類を発表しあいました。自分で綺麗にした化石、アンモナイトのレプリカはおみやげに持ち帰りました。 |
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