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共融会(金研OB会)運動会でスプーンレースに出場された先生
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アインシュタイン博士と.(本多博士は前列左から二人目)
東北帝国大学講演後,松島にての記念写真(大正13年12月3日)
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ゲッチンゲン(月沈原)から田中館教授への葉書(明治40年2月より3年間独英に留学) |
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本多先生のノート(”Conduction of Heat”: 熱伝導) |
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本多先生の肖像画(安井曾太郎画 油絵30号).
明治40年,安井曾太郎画伯(当時20才)がフランスに留学するた際,たまたま本多先生(当時37才)もドイツに留学するため同じ船に乗船しており,二人は知り合った.後日安井画伯が東北美術展の審査員で来仙の折り,小宮豊隆先生からの話で,東北大学総長の本多先生の肖像を描くことになり,10日間総長室でモデルになって貰い,昭和11年加筆完成し,先生の大学在職25周年記念に大学に30号のこの画を,本多家に10号油絵を寄贈された.(展示のものは複製,原画は宮城県美術館に保管) |
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晩年の先生.田園調布の自宅の庭で(昭和28年8月) |
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先生の墓(矢作町妙源寺).墓の裏面に刻んである「鉄鋼の世界的権威者」の文句は生前先生が考えていたもので,住職に依頼していた.
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