アメリカ合衆国博物館視察(ワシントン篇) 2008年3月 2008年3月5日から14日にかけておこなったアメリカ合衆国の博物館視察について、ロサンゼルス編、ピッツバーグ編に続き、最終回のワシントン編をお届けします。 歴史と四季の町 ワシントンDCには空から降り立った。1790年ポトマック河畔におかれたこの町は、合衆国のなかでもっとも古い町のひとつだが、今では530万もの人口を有する巨大な首都圏の中心となっている。町には四季があり、春は温暖、夏は高温多湿。秋にフロリダ辺りを襲うハリケーン(熱帯低気圧)の余波を受けるところなども日本に似ている。 無機質な相貌 しかしアーリントン地区からからナショナルモールへと進むにつれ、窓外を眺めていた私は、ある種の違和感を覚え始めた。200年以上の歴史をもつとはいえ、都市計画によって生まれたワシントンDCの相貌は、あまりに無機質である。それは「生きている」というよりも「機能している」ということばがよく当てはまる。独立宣言を起草したトマス・ジェファソンは、DCをアメリカのパリにしたいと願ったというが、老舗デパートのような趣きのパリのメトロとは違って、DCのメトロはその駅とともに、暗く、頑丈で、巨大だった。 現代政治史の中心として 駅は核シェルターとしても機能するよう設計されたという。開業年の1976年を考えると、さもありなんと思う。冷戦のさなかである。そういえば、いま通過したアーリントン地区にはペンタゴンがあり、その先には国立墓地がある。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件。ハイジャックされた4機の旅客機のうちの1機が激突した。墓地には現在まで続く終わりなき戦争の「犠牲者」たちが眠っている。 スミソニアン自然史博物館 ナショナルモールに到着した。メトロを降り てわれわれは、連邦議会議事堂を頂点にして東西に4キロメートル広がる、どこまでも平たい公園の上に立った。スミソニアン自然史博物館(National Museum of Natural History)は、そのほぼ中央に建つ新古典様式の建物である。16の施設からなるスミソニアン博物館群のなかでも最大の博物館であり、同協会の所蔵する1億数千万点の標本資料の95パーセントはここにある。 ほ乳類ファミリーホール 正面玄関からロトンダのアフリカ象に目礼しつつ、左手の「Kenneth E. Behring ほ乳類ファミリーホール」に入る。とたんに明るく、抜けるような開放感に包まれた。2 0 0 3 年にリニューアルされたこのホールは、およそ2000平米の面積があり、高さは約15メートルにも達する。天井を見上げると、日本の障子紙に似た素材をとおして自然光が和らげられている。外界の冷たさとはうってかわって温かな雰囲気だ。 生きた蝶の展示 ただし不満もある。別のところでも指摘したが、動物たちが「永遠に続く一瞬」へとつなぎ止められてしまい、人間と自然との関係が稀薄になっていると感じたからである。しかし、こうした疑問への回答を自然史博物館はすでに用意していた。この2月に開展したばかりの、生きた蝶の展示「Butterflies +Plants : Partners in Evolution」である。 展示のコンセプト パネルには、18世紀の啓蒙思想家ディドロのことばが引用してあった。訳してみよう。「自然は無限に多様な仕方で、同一のメカニズムを多様化させることを好んだかのように思われる」。『自然の解釈について』(Pensées sur l'interprétation de la nature)からの一節である。ディドロは、この世界に物質しか存在しないとしたら、なぜ動物界・植物界はこのような多様な相を呈しているのかと問うた。そして人間を含む生物種のすべては、長い時間をかけてひとつの原型から変化したのではないかと推定した。「多様性への問いかけ」。すなわち展示コンセプトの一端がここに示されている。 共進化のメッセージ この展示には、もうひとつ重要なテーマが隠されている。「共進化」(Co-Evolution)である。耳慣れないことばだが、複数の生物種が密接な関係をつうじて互いに影響を及ぼし合いながら、相対的に環境への適応力を高めることをいう。 赤の女王 では、なにゆえ「共進化」なのか。この関係は、面白いことにアナロジーとして他分野でもさかんに用いられる。気候と人間との関係、国家と国家の関係などである。共生・寄生・対立の関係を問わず、互いに密接な関係をもつかぎり共進化という現象は発生する。 旅のおわりに 旅も終わりに近づいた。再会を果たしたキュレーターの方々とはさまざまな事柄を話し合い、さらに多くのことを学ばせていただいた。ロリーナ・セーラム氏、知念淳子氏、そしてエリザベス・マスティーン氏には改めて謝意を表したい。われわれは小舟である。合衆国という港の埠頭につないでいた、もやいをそろそろ解くときがきたようだ。
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