黒鉱をめぐる鉱山の歴史 企画展「「まっくろ黒鉱 ー驚きに満ちた鉱石ー」」 東北大学総合学術博物館のすべてⅪ

黒鉱をめぐる鉱山の歴史

秋田県北鹿地域にある大きな鉱山の一つに小坂鉱山があります。小坂鉱山では、土鉱から金銀が大量に採掘されるので、官営鉱山として発展しました。オーガスチン法という方法で精錬を始めてからは、日本一の銀山となったほどにぎわいを見せていました。しかし、19世紀終わりに土鉱を採掘しつくしてしまった小坂鉱山は閉山の危機に直面しました。
土鉱の下には大量の黒鉱があったものの、黒鉱は当時「黒物」と呼ばれ、精錬が極めて困難で、とても事業化は不可能と思われていました。
閉山の危機を救ったのが久原房之助でした。久原は明治35年(1902年)に「生鉱吹き法」と呼ばれる独自の製錬技術を開発しました。これにより、黒鉱から金・銀・銅・鉛・亜鉛など15種類の有用金属元素を取り出して製品化することに成功したのです。「生鉱吹き法」は、閉山寸前の状態にあった小坂鉱山を見事に立て直したのはもちろん、現在に至る日本独自の製錬技術の基礎を築いたという点でも、画期的な技術でした。そして鉱山は飛躍的に発展しました。

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黒鉱をめぐる鉱山の暦史