光学ガラス製頂角60度分光プリズム
(入射面の大きさ20×20cm)
昭和45年に量子化学講座担当教授として赴任した伊藤光男教授が、前任地の九州大学理学部および東大物性研において実施していた、レーザーラマン分光器の分光素子として使用されていた4連プリズムのうちの1つです。
伊藤教授は、我国初めてのレーザーラマン分光研究を開拓した研究者として 国内外に知られています。このプリズムは、その後、化学科3年生化学実験実習装置として利用されていました。
東北大学の地震観測は、大正2年1月に現在の仙台市太白区向山に建設された理科大学附属観象所で始まりました。この地震計は、理科大学初代教授 日下部四郎太が、着任前の留学中にドイツで購入したウィーヘルト式水平動地震計で、当時としては高感度の性能を有していました。この地震計は、1970年代半ばまで実際に使われていたもので、スス紙に振り子の揺れを直接記録していました。現在の地震計は、簡単に持ち運べるほどに小型になり、コンピューターに記録したデータをそのまま伝送したり、解析することができるようになっています。 東北大学には、1978年の宮城県沖地震の波形データを記録したスス紙が残されています。このことは、この期間に起きた地震研究や防災研究の情報技術革新の大きさを象徴しています。
口径80mm、焦点距離900mm、製造番号14588
子午儀は、設置された地点の子午線(経線)上を、恒星が日周運動のため通過するのを観測して恒星の赤径や赤緯を決めたり、あるいは、赤径・赤緯の分かっている恒星を観測して正確な時刻を計測することによって設置点の緯度や径度を決めるのに用いられます。 東北大学では、明治44年1月1日に物理学科物理学星学講座が開設された頃に、このBamberg製子午儀を536円96銭5厘で購入しました。大正元年12月に向山観象所が竣功し、子午儀・赤道儀が設置され、翌大正2年から観測が開始されました。それ以来、長く天文研究・教育に多大な貢献を果たしてきましたが、平成18年に子午儀室の解体に伴い博物館に移管されました。 現在では、測地点の緯度・経度を決めるのにGPS (Global Positioning System) の普通に使用されていることから、子午儀が果たした役割と私たちの生活との関わりは深かったことが分かります。この子午儀が設置された地点は、北緯38度15分26.072秒、東経140度50分33.394秒、高度152.97mでした。
本体は、硝子管柱と羊皮製貯槽内に収めた水銀などで構成されており、水銀液柱の高さを精密目盛付真鍮筒および象牙製可動式針によって計測する方式です。化学的研究の中でも、熱力学的計測は圧力や温度に対して鋭敏に依存するため、旧来の物理化学研究室には、毎日の気圧を計測記録するためにこの装置が不可欠でした。化学教室・理論化学講座(富永斉教授)において昭和11年9月購入、その後、理論第二講座を経由して量子化学講座に移管されて現在に至っています。後日作成の備品管理表に購入価格80円と記載されていますが、800円の誤記と思われます。