三畳紀に栄えたセラタイト類にかわって、ジュラ紀に栄えたのはアンモナイト類(狭義)です。南部北上山地のジュラ紀アンモナイトは、東京大学の横山又次郎、佐藤正、東北大学の高橋治之らにより研究されました。横山又次郎は、1882年に東京大学を卒業すると同時に地質調査所に入り、ナウマン(ドイツの地質学者で、日本における近代地質学の基礎を築くとともに日本初の本格的な地質図を作成した)を助けて地質調査事業の基礎をつくりました。後に東京大学の古生物学教授となり、1904年に志津川産ジュラ紀アンモナイトを東大紀要に執筆しています。これが、わが国初のジュラ紀アンモナイトの英文記載論文です(佐藤、2007)。
北上山地産ジュラ紀アンモナイトはいずれもテチス海(ジュラ紀に北のローラシア《現在のアジア》大陸と南のゴンドワナ大陸の間にあった海洋)の熱帯~亜熱帯性アンモナイトですが、ケプレリテス だけは北極型のアンモナイトといわれています。ケプレリテスの産出は、当時の南部北上古陸がテチス地域に属しながらも、北極海からの海流の影響もあったことを示すと考えられます。
静かな浅い海だった北上山地ですが、前期白亜紀に激しい地殻変動が起き、その後はほとんど陸上にありました。この激しい地殻変動は、地層に含まれるアンモナイト化石も当然変形させました。アンモナイトは本来円に近い形をしていますが、北上山地の前期白亜紀までのアンモナイト化石はいずれも変形して楕円形になっています。とくに牡鹿半島産のジュラ紀アンモナイトの変形が強く、牡鹿半島では地殻変動が激しかったのかもしれません。