北上山地のアンモナイト -繁栄から絶滅まで-/みちのくはアンモナイトの宝庫 東北大学総合学術博物館

北上山地のアンモナイト -繁栄から絶滅まで-

北上山地は、アンモナイトが繁栄を始めたデボン紀から絶滅した白亜紀まで、すべての地質時代のアンモナイトを産出するわが国唯一の地域です。どうしてそのようなことが北上山地でだけ実現したのでしょうか? また、北上山地の南部で産出するペルム紀のアンモナイトは、赤道地域のものです。どうして日本で赤道地域のアンモナイトが見つかるのでしょうか?

アンモナイトの繁栄から絶滅まで、すべてがわかる南部北上帯

北上山地における年代別アンモノイド化石産地

北上山地における年代別アンモノイド化石産地

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 アンモナイトはおもに浅い海にすみ、そこで化石となります。北上山地の南半分、南部北上帯には、中期古生代から白亜紀前期までの浅い海にたい積した地層が整然と残されていて、その中には浅い海で生きていたたくさんの生物の化石がふくまれています。主として浅い海で生活していたアンモナイトも当然ふくまれ、デボン紀から白亜紀まで、まさに「繁栄のはじまりから絶滅まで」のアンモナイトの化石を多く目にすることができるのです。日本の他の地域ではこのような地層の分布が限られていて、地域ごとに見るとごく一部の年代のものだけが産出します。

一方、北上山地の北半分、北部北上帯は、ジュラ紀の付加体からできています。この付加体は、現在の南太平洋あたりからやってきた、石炭紀からジュラ紀までの深海底や海山の頂上のたい積物と陸から運ばれてきたジュラ紀の泥や砂がまじりあってできています。これらのうち、アンモナイトが産出する可能性があるのはおもに海山の頂上でできた石灰岩だけで、あまり広い分布はありません。しかし、北上山地の北部では、付加が起こってから大陸のへりになったあとの白亜紀前期の終わりころ(約1億年前)から白亜紀後期にかけて、海岸沿いの地域に浅い海のたい積物がたまりました。その中には白亜紀のアンモナイトや二枚貝の化石が豊富に含まれています。

昔は赤道付近にあった? 南部北上帯

 アンモナイト化石の種類ごとの生息圏から、当時の古地理がわかります。ペルム紀のアンモナイトには、群集構成のことなる4つの生物区が認められます。比較的冷たい海であった北半球中高緯度の「北極区」、南半球中高緯度の周ゴンドワナ区、赤道周辺の「赤道アメリカ区」と「赤道テチス区」です。南部北上帯のペルム紀アンモナイト群集が、ペリニテス、シボリテス、アラクソセラスなど多数の赤道テチス区(熱帯)に生息したアンモナイトを含み、北極区のものが全くないことは、中期~後期ペルム紀の南部北上古陸が赤道域に位置していたことを示しています。南部北上帯は、古生代前期に、当時赤道付近にあったゴンドワナ大陸の一部として誕生し(南部北上古陸)、その後中生代半ばまで赤道近くにあったため、みちのくの北上山地で熱帯域のアンモナイト化石を目にすることができるのです。

アンモナイト化石の種類ごとの生息圏から当時の古地理がわかる

アンモナイト化石の種類ごとの生息圏から当時の古地理がわかる