1888年、日本産アンモナイトがはじめて学術論文に登場します。ただしそれはドイツのモイシソビッチによるもので、石巻産および四国産の三畳紀アンモナイトの記載をしています。この論文に用いられた標本を採集したのは、ナウマン像に名を残すエドモンド・ナウマン(E. Naumann: 1854-1927)です。1881年の北上山地の調査旅行の際 石巻周辺で採集し、ドイツに送ったものです。この時ナウマンは南三陸町皿貝でモノティス化石を発見し、わが国に三畳紀の地層が分布することをはじめて明らかにしています。
その後、横山又次郎(東京大学)や矢部長克(東京大学、のち東北大学)によってはじめられた日本のアンモナイト研究は、彼らの門下生にひきつがれ、発展してきました。東北大学では、矢部の門下生である清水三郎や早坂一郎、さらに坂東祐司、高橋治之や永広昌之などによって研究がすすめられてきました。
*1 このとき報告されたのはCeratites haradai Mojsisovics, C. japonicus Mojsisovics, C. naumanni Mojsisovics, C?. planiplicatus Mojsisovics, Arpadites gottshei Mojsisovics, Arpadites sp., Gymnites watanabei Mojsisovicsなどのセラタイト類です。これらはGymnitesをのぞいて、その所属が下記のように変更されています(小貫・坂東,1959):Hollandites haradai (Mojsisovics), H. japonicus (Mojsisovics), “Danubites” naumanni (Mojsisovics),
Japonites planiplicatus (Mojsisovics), Balatonites gottshei (Mojsisovics), Balatonites sp.