坂東祐司は東北大学地質学古生物学教室を1956年に卒業し、その後大学院に進みました。1958年に利府層や伊里前層の三畳紀アンモナイトの論文を小貫義男(東北大学)との共著として著して以降、1985年に急逝するまで、北上山地や日本の三畳紀層の層序とアンモナイトを中心として研究を続けました。1964年には、東北大学博士論文として、わが国の三畳紀のアンモナイトと、それを用いた各地の三畳紀層の対比についての総括的な論文をまとめました。
1968年以降は、チモール、中東およびマダガスカルなど、いわゆるテチス地域の三畳紀層の研究を共同研究者たちと進める中で、多数の三畳紀アンモナイトを記載し、世界的に著名な三畳紀アンモナイト研究者となりました。1969年にはイランのペルム紀アンモナイト、1975年からは北上山地のペルム紀アンモナイトの研究もおこない、ペルム紀末の生物大絶滅をはさみ、三畳紀はじめにかけてのアンモナイトの系統進化についても新たな考えを発表しています。