清水三郎は東北帝国大学理科大学地質学教室の5回生で、1920年代後半から1930年代にかけて、本邦各地や東アジアの白亜紀、相馬のジュラ紀、四国および北上の三畳紀のアンモナイト、東アジアのオルドビス紀―シルル紀頭足類の研究を精力的におこないました。総合学術博物館には、清水が研究したサハリンや北海道の白亜紀アンモナイト標本が多数収蔵されています。1934年には、小幡忠宏(東北大学卒)と共著でわが国初の頭足類(アンモナイトやオウムガイなど)の教科書、岩波講座「頭足類」を著しています。
みちのくのアンモナイトについては、1927~31年に相馬地域のジュラ紀アンモナイトに関する論文を発表しています。これらは相馬地域のジュラ紀アンモナイトに関する最初の学術研究の成果であったといわれています(佐藤,2007)。北上山地の三畳紀アンモナイト研究はドイツのモイシソビッチ(1888)によってはじめられ、その後ディーナ(1916)の研究がありましたが、清水は、矢部長克との共同研究を含め、1927~30年に北上山地(利府地域を含む)の三畳紀アンモナイトを多数記載し、日本の三畳紀層の化石層序の基礎をつくりました。また、1931年には北上山地の宮古や気仙沼大島の前期白亜紀層産を含むわが国の白亜紀アンモナイトを多数記載しています。