第8回 「北上山地のアンモナイト」
わが国におけるアンモナイトの学術的な研究が始まったのは、19世紀の終わりころ、わが国に近代地質学が輸入され、外国の地質学者により研究・教育が開始されたころでした。
ナウマン象に名を残すナウマン(E. Naumann)が、1881年の北上山地の調査旅行のさい、石巻近郊の井内でいくつかのアンモナイト標本を採集し、ドイツに送りました。これを1888年にドイツのモイシソビッチ(Mojsisovics, E.) が論文記載し、セラティテス・ヤポニクス(Ceratites japonicus Mojsisovics) などいくつかの新種アンモナイトとして報告しました。
その後、北上山地のアンモナイトは多くの研究者により100年以上にわたって研究されており、東北大学では1911年の理科大学の開学以来その研究がひきつがれています。
アンモナイトは古生代中期のシルル紀にオウムガイから分かれてあらわれ、次のデボン紀以降、中生代終わり(白亜紀末)に絶滅するまで、何度かの危機をくぐりぬけて、世界の海洋で広く栄えました。
日本にも北海道の白亜紀アンモナイトなど著名なアンモナイト産地がたくさんありますが、デボン紀から白亜紀までのすべての時代のアンモナイトが知られているのは北上山地だけです。
このアンモナイトの“ 宝庫”としての北上山地産の主要な標本を、古生代、三畳紀およびジュラ紀・白亜紀の3 つのブースで見ることができます。
なお、北上山地の南部(南部北上帯)は日本列島の土台ともいうべき古い地質がよく残されている地体でもあります。この土台をなす5 億年~4億4千万年前の基盤岩類やそれらをおおう中期古生代の岩石やその中の化石を紹介するブースも隣接しています。