東北大学総合学術博物館のすべて Ⅷ 「中国・朝鮮国境の大活火山 白頭山の謎」

次の噴火はいつか

白頭山を構成している地層の調査や、岩石の年代測定結果により、白頭山では過去4000年の間に、10世紀噴火を含めて3度の大規模な噴火があったことがわかっています。これを平均すると、大規模な噴火は約1300年に一回の割合で起きていることになります。では、10世紀の噴火以降はどうなっているのでしょうか?

噴火の歴史を知るのにはまず古文書の記録が重要な手がかりとなります。1392年から1864年におきたことがらが公的に記録されている、李氏(りし)朝鮮の「李朝実録(りちょうじつろく)」には火山噴火を思わせる記述が何ヶ所か見出されています。同様な古文書の解読が中国や朝鮮においても行われ、これらをまとめると、ここ600年間では、だいたい200~300年に一回の割合で小規模な噴火が発生していたことが推定されます。これらの記述が本当に噴火を示しているかどうかは地質調査等で確かめなければなりませんが、噴火が小規模な場合、その火山噴出物はすぐに削られてなくなってしまい、地質調査で見いだすことは難しい場合が多いのです。

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天池をいただく白頭山

李朝実録 粛宗大王実録第9冊第36補闕1702年6月9日(清朝聖祖康煕四十一年五月十四日)  李朝実録第四十巻三、粛宗実録三十六巻
14日正午、天地が突然真っ暗になり、ときには黄色を帯びた赤い光が煙や花火とともに見えた。また、生臭いにおいがいっぱい漂っているようにも感じた。大きな火炉に座り込んでいるようにむし暑かった。4時頃になってから消えた。朝、外に行って見たら、野原には灰が降って、まるで貝殻を燃やしたようだった。鏡城府でも同じ月、同じ日の少し遅い時間に煙と霧のような空気が北西側から突然押し寄せてきて、天地が真っ暗になり、生臭いにおいが人々の服に染み込んだ。とてもむし暑い空気で、大きな火炉に座っているようだった。それで、汗をかいてべたべたしたので人々は服を脱いだ。飛ばされてきたまるで雪のような灰は地面に落ち、その厚さは一寸ぐらいだった。灰は、すべてが樹皮の焼き残ったものだった。川辺の郡もそうだったが、たまにもっとひどいところもあった。
・鏡城府は東側で日本海に面し、西側の天池火山とは140㎞離れている。
・富寧府は鏡城の西側に位置し、天池火山と鏡城の間にある。

最後の大規模噴火である10世紀噴火からはすでに約1100年が経過し、また最後の小規模噴火である1702年からも約300年が経過しています。そろそろ次の噴火が起きてもおかしくない時期に来ていることは確かでしょう。