平成16年度公開講座
「金属利用の歴史探訪」
2004年度の総合学術博物館公開講座は、企画展「東北のマテリアル・リサーチ」(2005年2月1日から19日:東北電力グリ-ンプラザ)の関連行事として、「金属利用の歴史探訪」(全5回)と題して開催されました。
会場は理学研究科附属植物園、第3回のみ東北電力グリーンプラザ。企画展の特別講演会を兼ねた第3回をのぞく、全4回出席の熱心な参加者には修了証が発行されました。
第1回「たたら製鉄技術の謎-復元的研究を通して考える-」
東北大学国際文化研究科 非常勤講師 高橋 智子
鉄生産の問題は単なる技術問題ではなく、古代においても国家の政治政策や社会の経済条件と深く関わっていました。
近年、考古学の発掘調査でも古代製鉄遺跡の出自と展開が注目されています。
高橋智子さんは、「鉄づくりはむずかしい技術なのか」?!というテ-マを掲げ、2004年9月に大学校内で学生たちと「たたら操業」の復元をこころみました。
講演会では、その実体験を収めたVTRが紹介され、夜を徹して行われた鉄づくりは思っているよりも時間がかかり、過重な労働をともなうものでした。
第2回「日本の近代製鉄技術のあゆみと本多光太郎」
東北大学大学院国際文化研究科 教授 井原 聰
日本の近代製鉄は、大島高任による西洋式高炉(橋野高炉)の建設、官営釜石製鉄所(1880)・八幡製鉄所(1901)の創設にはじまり、日本の銑鉄生産量は1890年代から急速に増加しました。
1869年の東京-横浜間公衆電信開通、1884年の東京電灯会社発足など、本多光太郎(1870-1954)が生まれ育ったのはまさに日本の近代化が進行中の時代でした。
鉄材需要の増大を背景とし、本多は東北大学に金属材料研究所(臨時理化学研究所にはじまる)を創設し、金属材料研究を発展させてきました。
日本の科学は欧米の後追い・ものまねであったといわれることがありますが、本多をはじめ、日本の科学・技術は独自の視点から発展してきました。
第3回「国宝三角縁神獣鏡の謎を探る―卑弥呼の鏡が語る邪馬台国の謎―」
東北大学 名誉教授 鈴木 謙爾
三角縁神獣鏡は、邪馬台国の所在地と関連して日本の古代国家形成過程を研究する上で、第一級の考古資料です。
原料鉱石の生産地・青銅鏡の製作地を推定するために、泉屋博古館が住友コレクションとして所蔵するおよそ100枚の古代青銅鏡の蛍光X線分析を、Spring-8放射光を入射ビームとして用いて行いました。
古代青銅鏡は、アンチモン-銀成分相関から、①戦国後期~秦時代(紀元前3世紀)、②前漢初期(紀元前2世紀)、③前漢後期~三国時代(紀元前1世紀~紀元後3世紀)の中国鏡、④古墳時代(紀元後3世紀以降)の日本鏡という、制作時期ごとの4グループに大別されます。
舶載鏡とよばれる三角縁神獣鏡は③の、倣製三角縁神獣鏡は④の相関領域に位置づけられるので、製作時期が3世紀から4世紀に下るにしたがって、三角縁神獣鏡の原料産地あるいは製作地は中国から日本に移行し、複数並存したと考えられます。
第4回「原子操作で錬金術は夢から科学へ」
東北大学金属材料研究所 教授 川添 良幸
これまで計算機産業を支えて来たシリコンテクノロジーは、原子・分子を基盤とするナノテクノロジーの時代に入りました。
ナノメートルサイズの世界では、今までの常識は全く通用しません来、実験結果の説明を主として来た理論計算が、ナノスケールの物質を対象とした材料研究に至って、主客逆転を起すようになりました。
理論が先に有用物質を設計し、実験家がそのレシピに従って実際に「もの」を作成するようになってきました。この原子操作は、昔、安い金属から高価な金を作ろうとした錬金術の復活であるともいえます。
第5回「鉄の誕生」
東北大学 名誉教授 萬谷 志郎
紀元前3000~4000年頃のメソポタミヤやエジプトなどの古墳よりすでに鉄器が発見されています。
これらは隕鉄を直接利用したものと考えられており、人類が鉄鉱石を精錬して鉄器をつくるようになったのは、紀元前1500~2000年頃、古代オリエント地方(現在のトルコ地方)と推定されています。
15世紀(イタリヤ・ルネッサンス時代)になって画期的な技術革新といわれる2段の製錬をおこなう間接製鉄法の発達、産業革命以来の鋼の溶融精錬法の発明、近代製鉄法の基本的行程となる間接溶融製鉄法が開発されました。
今後においても、鉄鋼製錬がその時代の先端技術の一つであることはまちがいありません。
現在世界の粗鋼生産量では中国が著しい増加傾向にあります。