平成19年度公開講座
「ミュージアムトーク2008 ロック アンド フォッシル」
総合学術博物館では、平成19年度公開講座として、平成20年2月16日から3月15日までの毎週土曜日に、東北大学自然史標本館において、「ミュージアムトーク2008 ロック アンド フォッシル」を開催しました。
今回の公開講座では、展示中の岩石や化石標本を間近に見ながら、その由来や学術的な履歴について語ることを主旨として、ミュージアムトークという型式をとりました。講演者と受講者との距離を近く感じてもらうために、少人数での開催を企画しましたが、いずれの回も募集人数を上回る応募があり、お申し込みをお断りさせていただくこともございました。
第1回「文学を旅する地質学」
東北大学名誉教授 蟹澤 聰史
初回は、長年にわたり東北大学理学部で岩石の研究をされてこられ蟹澤聰史名誉教授にご講演をいただき、前半は文豪ゲーテと地質学に関わる内容でお話しいただきました。
ゲーテはGoethite(針鉄鉱)として鉱物に名を残しているように、意外にも地学との関わりが深いのです。それは著書『イタリア紀行』にも強く現れており、1785年のベスビオ火山の噴火の記録、白榴石と思われる鉱物の記載など、イタリア各地の地質学的・鉱物学的観察を行って、同書は完成されたとのことでした。
後半は童話作家で有名な宮沢賢治と地質学にまつわるお話でした。宮沢賢治の作品にはさまざまな鉱物が登場しており、宮沢賢治は青い石、青い鉱物が好きだったというエピソードを紹介されたあと、そこに登場する青い石の実物をみなさんに披露されました。
第2回「矢部長克の買い物籠」
総合学術博物館准教授 佐々木 理
約100年前の1907年から5年間、矢部長克は東北帝国大学地質学教室の開設準備のためにドイツに留学しています。1912年に帰国した矢部は、教室開設のために、たくさんの教育用標本や古生物学研究のための資料を欧州より輸入しました。
1900年のパリ万国博覧会には、日本人技術者によって完成された1/100万日本帝国地質図が出展されました。この地質図は、日本の地質学が外国人教師による教育期間を修了したことを示す卒業作品ということができます。
矢部が欧州で過ごした時期は、独り立ちした日本地質学が新しい発展の方向を模索していた時期でもあったのです。
自然史標本館展示室のジュラ紀と白亜紀のコーナーに展示されている欧州産アンモナイト標本には、1912年当時のロンドン、パリ、ボンで活動していた標本商のラベルが貼られています。
このような標本は、世界中の大学や博物館の標本コレクションで見ることができます。
当時、地質学技術者に対する需要は高く、その養成機関の設立がひとつのブームとなっていました。これらのラベルは、東北大学地質学教室の設立もその世界的なブームの一環であったことを示しています。そこで、自然史標本館に保存されている当時の帝国大学物品購入台帳をもとに若き矢部が購入した標本、あるいは購入しなかった資料を手がかりとして、彼が新しい大学で展開しようとした地質学について考えてみました。
講演では、欧州産アンモナイト標本と地質学の誕生と発展、ドイツ・ゾルンホーフェン産始祖鳥化石のレプリカ標本の偽造論争と羽毛恐竜の発見、ドルビニー有孔虫模型と微古生物学の発展、また、地球の年齢についての論争を紹介し、イギリスの地質学者アーサー・ホームズによる岩石の地球年齢の推定の地質学史的な意義について考察を試みました。
第4回「水晶あれこれ」
総合学術博物館准教授 長瀬 敏郎
鉱物の研究は、「水晶に始まり水晶に終わる」ともいわれています。それほど水晶は学術的に面白く、また複雑でむずかしいものです。
水晶の学名は石英(Quartz)であり、そのなかでも平面で囲まれた外形をもつ美しいものをわれわれは水晶と呼んでいます。
石英は、火成岩や変成岩などの岩石の中にはもちろん、海の砂や土壌などわれわれの周りにも普遍的に存在する、もっとも身近な鉱物のひとつです。
水晶は、ほぼ純粋なSi02という単純な化学組成をもつわりには、その結晶構造は複雑です。
また、いろいろと変わった性質や特徴をもつのもこの水晶です。今回のミュージアムトークでは、このいろいろな変わった特徴をもつ水晶についてお話しました。
アメジストやシトリンなどは色の違いによって呼び名が変わります。これらの色の違いは、ほんのわずか含まれる不純物によるものです。
また、2つの結晶がある決まった関係で接合したものを双晶と言い、水晶にはおもに日本式双晶、ブラジル双晶、ドフィーネ双晶があります。
双晶をしたものは、単結晶とは違った形態的な特徴が現れます。この他に断層でできたといわれるファーデン水晶や面の中央部に凹みのあるウインドウ水晶など、両方に錘面が現れる両錘水晶など、水晶にはさまざまな形態があることを紹介しました。
後半では、水晶はどこで採集できるかについて触れ、とくに大型の黒水晶を産出する晶洞型のペグマタイトとして岐阜県苗木を、また日本式双晶の産地として世界的に有名な山梨県乙女鉱山などを紹介しました。
第5回「北上山地のアンモナイト化石」
総合学術博物館館長 永広 昌之
アンモナイトというと、北海道産の美しく巨大なアンモナイトを思いうかべることが多いのですが、北海道からは白亜紀後期というごく限られた年代のものが知られているにすぎません。
一方で、北上山地は、デボン紀から白亜紀までのすべての時代のアンモナイトを産する日本で唯一の地域です。岩手県の通称粘土山から1990年に発見されたデボン紀後期のクリメニア類は、わが国最古で唯一のデボン紀アンモナイトとなっています。
北上山地からの石炭紀アンモナイトの報告は比較的少ないのですが、ペルム紀アンモナイトに関してはまさに“宝庫”といえます。
前期ペルム紀アンモナイト2属、中期のもの19属、後期のもの12属で、わが国全体から知られている属が前期6属、中期25属、後期12属であるのをみれば、北上山地がペルム紀アンモナイト研究においていかに重要な地域であるかがわかるでしょう。
北上山地の中~後期ペルム紀アンモナイトは典型的な熱帯棲アンモナイトであり、この時期の北上山地(南部北上帯)が赤道域に位置していたことを示しています。前期三畳紀のアンモナイトも同様です。
日本産アンモナイトの科学的研究は、石巻産三畳紀アンモナイトをモイシソヴィッチ(1888年)が新種記載したことにはじまります。また、仙台東方の利府地域は、仙台にもっとも近い、古くから知られた中期三畳紀のアンモナイト産地です。
ジュラ紀のアンモナイトも豊富で、白亜紀では初期のものが北上山地南部から、前期の後期および後期のものが北部から知られています。
これまで北上山地から多くのアンモナイトが報告されてきたのは、明治の近代地質学の揺籃期以降の、東北大学を中心とする北上山地における永年の研究の歴史を反映しているといえるでしょう。
現在も資料は増加しつつあり、さらなるアンモナイトの発見や資料の掘り起こしが、研究を発展させることと期待されます。