カーネギー博物館「恐竜とその時代」展の様子

博物館視察報告(ピッツバーグ篇)2008年3月

アメリカ合衆国博物館視察(ピッツバーグ篇) 2008年3月

2008年3月5日から14日にかけて、財団法人カメイ社会教育振興財団の助成をうけてアメリカ合衆国の博物館を実地調査しスタッフと意見交換をする機会を得た。

訪問都市はロサンゼルス、ピッツバーグ、ワシントンDCの3都市にわたり、視察対象は6つの博物館に及んだ。報告はロサンゼルス篇・ピッツバーグ篇にわけ、今回はピッツバーグ篇をお届けする。

白銀の町

カーネギー博物館

零下5度の澄みきった空気。前日の吹雪がまるで嘘のように、やわらかな陽光が白銀の絨毯をやさしく包んでいる。ロサンゼルスから、赤い奇岩に覆われたフェニックスを通り抜けてピッツバーグに到着したのが、およそ10時間前。われわれは、旅の途中に4つめの博物館に立ち寄った。

かつての鉄鋼の町ピッツバーグの文教地区オークランドは、ダウンタウンを見下ろす小高い丘の上にある。対岸には、「スリーリバーズ」のひとつマノンガヘイラ川に沿って、インクラインと呼ばれるケーブルカーがときおり行き来するのが見える。ペンシルバニアの森に囲まれ、この物音さえも凍りつく静謐にそびえるのが、19世紀のコロニアル様式を模したカーネギー博物館の威容である。

私を含め、東北大学総合学術博物館に所属する4名は、財団法人カメイ社会教育振興財団の助成を受けて、1週間でアメリカ合衆国を横断する旅に出た。自然史博物館を実地調査するためである。この後には、最終目的地のスミソニアン自然史博物館が控えている。

真夏のL.A.から真冬のピッツバーグ国際空港へ。吹雪で視界のきかない夜道を疾風のように走るミニバスには一同、肝を冷やした。突然、眼の前に赤いテールランプが光る。運転手は笑っている。降車後、足もとにノーマルタイヤを見たときはさすがに生きた心地がしなかった。

しかしピッツバーグの住民は、この程度の雪などまったく意に介さない。博物館の表玄関をくぐった瞬間、開館直後にもかかわらず、人いきれの暖かい空気を浴びる。年配の男女だけでなく、親子連れやカップルも多い。ベビーカーを引いた若い母親の姿は、合衆国の博物館では、もはや定番である。

恐竜とその時代

カーネギー博物館展示の様子

カーネギー博物館は自然史博物館と美術館、図書館、音楽ホールが合体した複合施設である。とくに自然史博物館は、恐竜化石の世界有数のコレクションで知られている。そのひとつ、ジュラ紀の巨大草食竜ディプロドクスには、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの名がつけられている(Diplodocuscarnegii)。1899年に北米で発見された、全長26メートルのほぼ完全な骨格である。その後発見されたアパトサウルス(旧称ブロントサウルス)には、彼の妻ルイーズの名がつけられた(Apatosaurus louisae)。 この巨大な2頭の骨格標本が並べられているのが、昨年11月にリニューアルされたばかりの「恐竜とその時代(Dinosaurs inTheir Time)」展である。広大な室内空間に、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の生態系が再現された、新機軸の常設展示である。

メイン展示会場の広さはおよそ2000平米。会場に続く細い回廊には、比較的小型の陸棲・水棲の恐竜化石が配置されている。なかには南ドイツ、ゾルンホーフェン産の始祖鳥化石もある。一体だけでなく、可能であれば複数の化石が並べられている。驚くことに、いずれもオリジナルの化石である。

標本の解説は、あい変わらず素っ気ないが、映像の流れるボタン式のビデオ解説も用意されている。しかし特筆に値するのは、恐竜たちの生きた環境を再現して、そのなかに標本を組み込んでいることである。

水辺であれば、水質や土壌、葦などの水辺の植生やそこに共棲する昆虫まで、レプリカによって細かな状景を作り出している。太古の爬虫類の棲む、よどんだ空気が漂ってくるようである。そして、突き当たりのメイン会場では、ディプロドクス、アパトサウルス、アロサウルス、ステゴサウルスの4頭のジュラ紀の巨竜の骨格が、天井いっぱいに頭をもたげながら、互いを見つめ、あるいは威嚇していた。

信じられない、という眼で、少女が骨格を見上げている。私も同じ眼をしていたかもしれない。ここでもまたシダやソテツなどの植生から土壌や小動物にいたるまで、当時の自然が恐竜たちを取り囲んでいた。マツのような樹皮の質感も、まるで一枚一枚が内部から押し出されてできたように、リアリティがある。

五感で受け止める

このような展示は、ひとつの方向性をし めしているのだろう。

まず、標本を狭いガラス・ケースの空間から解き放つこと。同じ博物館内でも、そのなごりが認められるように、これまでの標本はケースのなかで、自然環境を描いた「書き割り」の前に置かれていた。いわば窓の外の光景である。標本そのものがもつ潜在能力を引き出すには、生きた環境を観察者が「体験」するということが、ひとつの有力な方法であろう。つまり、その空間に同居するのである。

これによって、細かな解説は必要がなくなる。博物館を訪れるのが、一般市民や、とくに小中学生だということを前提にすれば、大学博物館にあるような一点一点の標本の、テクストによる同定は極力排除されねばならない。
この自然史博物館の標章が、エクスクラメーションマーク(!)を模して作られているように、理解することよりも、五感で受け止めることが重要なのである。

つぎに、オリジナルの標本がもつインパクトである。レプリカであれば、実際は存在しないものまで作り出すことができる。しかしオリジナルは、太古の生命体に対する畏敬の念を呼び起こす。まちがっても化石標本には、眼をつけたり皮膚をつけたりして飾ったりはしない。そうしないことによって、逆に、本当に見せたいものが何か、価値あるものが何かを、観察者は「理解」するのである。そしてオリジナルの標本こそは、展示を単なる「飛び出す絵本」にせず、観察者を高度な専門性へと到達させることのできる、ただひとつの道筋なのだ。

美術館と図書館と

カーネギー博物館に併設される美術館

とはいえ、後日スミソニアン自然史博物館を見てしまったせいで、私にはこのような展示方法が最先端だとは見なせなくなってしまった。だが、カーネギー博物館には、他にはない利点がある。それは、この博物館が美術館と図書館、音楽ホールの4つの施設の複合体だということである。

中庭に面した明るい階段をのぼると、そこはすでに美術館である。もともとMuseumということばには、博物館と美術館の区別はない。子どもたちが神妙な顔をしてタブローのあいだを巡りながら、しきりにメモを取っている。おそらくワークシートの穴埋めをしているのだろう。美術品にレプリカはない。すべてがオリジナルであり、作家の手や、いのちから作り出されたものである。子どもたちはその作品のどこに価値があり、素晴らしさがあるのか、考え、探るのである。

考えつかれたとき、あるいは行き詰まったときには図書館がある。「恐竜とその時代」展を挟んだ向かい側である。そこには、思考の手がかりがあり、思考の歴史がある。

このように、生徒たちは同じ場所で、感じ、考えることを学べるのである。だから展示に余計な解説は要らない。

知ることと変わること

授業の一環としても利用されているのだろう。ホームページには平易なことばで書かれた、展示標本の簡潔なファクトシートも用意されている。したがって教師も生徒も、期待するものがそこにあるとわかって、目的をもって訪れる(させる)ことができる。

カーネギー博物館は無料ではない(入館料は大人で15ドル)。それだけに、来館者は対価に見合うものを探し出そうとするだろう。知ることは変わることである。そしてきっと、対価以上のものを見つけ、訪れる前とは違う自分になって、博物館を後にするのである。

私は、そんな考えを思い巡らせていた。

あくる日またピッツバーグは雪に覆われた。われわれは、この町の印象や体験を口々に語りながら、ふたたび重い荷物を引きずり始めた。出発直前、全米で一斉にサマータイムに切り替わったことなど知りもしないで。